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2011年11月14日

建築探訪12(登呂遺跡)



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[今日の一枚]


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 今日の一枚は、あの有名な登呂遺跡です。

 理想の住宅建築を目指す以上、どうしても一度じっくりと見ておきたいと、ず
っと思っていました。

 登呂遺跡は、ご存知の通り、法隆寺などの仏教建築が日本に輸入される以前
から日本にあった集落です。私たち日本人の生活のルーツといえると思います。

 今回、登呂遺跡について語る上で、どうしてもご紹介したい本があります。
それは「日本建築史序説」です。私の尊敬する太田博太郎という、日本におけ
る建築史の第一人者が書かれています。

 太田博士は、個々の建築の解説にとどまらず、そもそも日本建築とは何なの
か、ということまで、膨大な文献をもとにかなり正確で誠実な研究をされてい
ます。


 その「日本建築史序説」をもとに、今回は竪穴式住居についてのおさらいを
しておきます。

@ 竪穴は北は北海道から、南は九州まで日本各地で数多く発見されている。

A 日本の竪穴はごく浅く、深いものでも一メートルに達しない。

B 今まで発見されている竪穴は縄文時代、弥生時代、古墳時代ものもが多く、
  一部の地方では奈良・平安・鎌倉時代ごろまでのも発見されており、室町
  時代まで下がるものもあるといわれている。



 さて、今回は私たちのルーツを想像させてくれる登呂遺跡を取り上げたわけ
なので、そんなルーツを想像しながら、上記の本に書かれている、日本建築の
特徴を抜粋でご紹介させて頂きます。

a 日本の場合には、建築をほめることばとして・・・・「優しいたたずまい」
  という控えめな言葉がつかわれ、・・・・建築は自然に対抗し、あるいは、
  自然を克服して立つのではなく、人間の作ったものでありながら、あたかも
  自然のうちの一本の樹木であるかのように、自然の一点景としか考えられて
  いない。

b 日本の建築が、明治維新に至るまで、木造で終始した・・・・古代における
  古墳をみると、かなり大きな石も用いられており、仕上げも十分に行なって
  いるから、日本人の祖先が石材の加工法を知らなかったとは思えない。・・
  ・・このように木材のみがもちいられた原因として、良質なヒノキが、自由
  に、容易に手に入った・・・・社寺建築にヒノキ以外の材料が入ってくるの
  は、中世、とくに室町以降である・・・・日本の支配階級の貧弱な富は、建
  築をすべて石で構築するに耐えなかったものといってよかろう。

c 白木造が好まれて、彩色を施さないものが多い・・・・削り上げた木の肌の
  美しいものが好まれ、素材についての関心はきわめて深い。

d 日本建築の軒の出は、シナ(中国)建築に比べてよほど深い。

e 日本建築の自然に対抗しようとしない、控えめな表現は、水平的な表現を主体
  とし、垂直を強調しないことによって表される。

f 日本建築の意匠の特性は、その簡素清純な表現によく表されている。

g 装飾的なものを一切使用せず、材料の肌の美しさと、比例のよさのみをもって
  構成されている。伊勢神宮の社殿が・・・・無装飾性であり、直截簡明な表現

h 大きさ、装飾の多さなどが、その高貴な地位を示すのではなく、そこに表れた
  意匠の洗練さが、その建築に住む人の身分の高さを示している。



 少し文章が多くなってしまいましたが、私は、今の日本の住宅建築を観るにつれ
て、もう一度、日本人は原点を見つめるべきだと思います。
 これからの日本の住宅のあり方について、登呂遺跡や「日本建築史序説」は、大
切な根源的なことを語っているのではないかと思います。




場所  :静岡県静岡市駿河区登呂5-10-5
作品名 :登呂遺跡
撮影日 :2009.4.8



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posted by てくてく at 00:07| 愛知 ☁| Comment(0) | 建築探訪 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする






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