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2012年01月27日

建築探訪63(頼山陽書斎(山柴水明処))



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[今日の一枚]


頼山陽書斎(山柴水明処) 2009_04_26.jpg


 今日の1枚は、頼山陽の書斎兼茶室として使われた 山柴水明処 です。

 頼山陽は江戸時代後期の歴史家、思想家、漢詩人、文人画家で、日本人で最初に
文筆生活をした人とも言われています。
 主著に『日本外史』があり、これは幕末の尊皇攘夷運動に影響を与え、日本史上
の大ベストセラーとなりました。

 日本外史がいかにその当時重要で面白い本だったかは、碩学 渡部昇一さんの解説
が分かりやすいので、概要を下記に書かせて頂きます。

 日本外史は平家と源氏の勃興から始まり、つまり武家政治から始まり、講談を読む
ように大変面白いそうです。

 注目すべきは記述の仕方で、徳川家が出てくると、行をあけて一字上げ、朝廷が出
てくると、また行をあけて二字上げて書かれてあるそうです。徳川家康が三河守のと
きは「三河守は」と書かれ、将軍の時は「将軍は」と書かれ、全部位がかわるたびに
位を変えて書いてあり、その位はどこから来たかというと、朝廷から来ているというこ
とが分かるように書いてあるそうです。言い換えれば、相対的に身分が分かるように
工夫してあるようです。

 江戸時代の人々にとっては、幕府というのは絶対の存在で、当時の支配階級は武士
で、武士の頭は大名で、武士は大名に忠義を尽くすものとされており、その大名を将
棋の駒のように動かせるのが幕府で、そんな幕府をひっくり返そうという発想は普通
の人にはそもそもなかったそうですが、頼山陽は、幕府の上に朝廷、天皇がいるとい
ことを客観的に分かるように書きました。上に朝廷があるというのは本当のことで、
しかも幕府の悪口は一切書かれていなかったので幕府は頼山陽を咎めることはできず、
この本が、幕末に超ベストセラーになります。それとは別に、神武天皇から天皇の歴
史をコンパクト書いた『日本政記』も合わせて、維新の志士たちに大変なモラルサポ
ートになったそうです。

 ちなみに『日本政記』には、姓は元々天皇の主だった家臣に与えられるもので、徳
川幕府は皆源氏だと言っている、織田信長は平家だと言っている、源氏という姓をく
れたのは天皇だというのがよくわかるように書かれてあるそうです。

 維新の志士たちは、「我々(日本人)は朝廷の方から続いているのであって、徳川幕
府は長い歴史から見たら最近出てきただけではないか。」ということに覚めたようです。

 伊藤博文も、西洋人に日本人とはなんぞやと伝えるときの日本の歴史知識は『日本
政記』から主に得たそうです。その他の維新の志士たちも、懐にはコンパクトにまとめ
られた『日本政記』を持っていたそうです。

 それによって、維新の志士たちは幕府よりも立場が強いんだ、という気持ちでいられ
たのかもしれません。




 そんな、明治維新の志士たちに多大な影響を与えた本を頼山陽が書いた書斎が、今回
ご紹介する山柴水明処です。

 京都の鴨川沿いにあり、実際に見て、驚くほど小さく可愛らしい建築でした。

 建築の見る視点は様々だと思いますが、大げさかもしれませんが建築の使命について
も考えさせられます。

 建物の平面計画や外観、立地、その他の要素によって、人の人生や暮らしや精神、さ
らには時代を、よりベストに近いようにサポートすべく存在させられたらいいなぁと思
いました。




場所  :京都市上京区東三本木通丸太町上ル南町
作品名 :頼山陽書斎(山柴水明処)(江戸時代後期)
撮影日 :2009.4.26



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posted by てくてく at 12:19| 愛知 ☀| Comment(0) | 建築探訪 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする






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